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どうぞ靴脱いでください



サナと同居人

カタカタカタカタカタ............ギシ...........サー...........

パソコンのタイプを打つ音と、背もたれに体重を預ける音。
その向こうに、久々の雨の音が聞こえる。

同居人はいつも2階に居る。

資料のページをめくる音。タバコに火をつける音。コーヒーを冷ます息の音。
執筆に詰まり、うなる小さな声。

姿を見なくても、音だけで彼が今何をしているのかサナにはわかる。

食事の時間も寝る時間もサナとは違う。
夕方から深夜にかけて仕事をして、朝方床に付く彼は、寝る前サナのためにコーヒーを入れておいてあげる。

同居人は若いころ、喫茶店を造りたいと言っていた。
だから彼のたてるコーヒーはいつも、夢が破れた味がしていた。

サナはam8:00、目覚ましに起こされ、彼の入れたコーヒーを1杯飲んで仕事に取りかかる。

ブローチ、ヘアピン、チョーカー、ピアス、指輪。
家事もこなしつつ、毎日アクセサリーを作る。
週1回、友達の店にそれを納品する。
1ヶ月分の売り上げをもらってサナはため息をついた。

サナには夢があった。

モダンバレーを踊って歓声を浴びる夢。
美しい身体。美しい所作。舞台に立ち、ライトを浴びて眩しく光る自分。

けれど夢は崩れた。

「君の作る物は、悲しく光っているね。泣いてるみたいだ。」
同居人は昔、サナにそう言った事があった。

夢を諦め、“今”をうつらうつらと生きるサナと同居人。
二人は同じ家で生活しているが、しばらく顔をあわせていない。
2階でタイプを打つ同居人。1階でアクセサリーを作るサナ。
この奇妙な生活はもう3ヶ月になる。

サナに一つの疑問が浮かんだ。

「彼は本当に存在しているのか?」

すれ違いの生活になる前は、二人共に過ごす時間が多かった。
毎朝顔をあわせ、“おはよう”と言葉を交わし、二人で食事を作り、肌の温もりをいつも感じあっていた。

けれど3ヶ月ほど前から同居人は、サナを避けるように自分の部屋に閉じこもり、取り付かれたように仕事をするようになった。
部屋に入る事は許されず、サナは同居人の顔を忘れかけていた。

「何かがおかしい。生活リズムが違うとはいえ、3ヶ月も顔を見せてくれないなんて。」
サナは階段を上がり、同居人の部屋のドアに向かって
「ねぇ。仕事、そんなに忙しいの?」
少し荒々しく言った。

「ガチャン」

コーヒーカップが割れる音がした。







カタカタカタカタカタ...........ギシ..........サー............

タイプを打つ音と、背もたれに体重を預ける音。
その向こうに、久々の雨の音が聞こえる。

寝る前にコーヒーをサナの写真の前に置くのは日課だった。

サナとは結婚の約束をしていた。
毎日幸せだった。サナを愛していた。

だから、3ヶ月前サナが交通事故で死んだなんて、受け入れられなかった。

同居人は夢中になって、シナリオを書き続けた。

アクセサリーを作り、家事をする。
パソコンの中のサナは、何の疑問も持たず、毎日シナリオ通りに生活していた。
何のドラマ性も無い、普通の日常。

「ねぇ。仕事、そんなに忙しいの?」

突然、パソコンの中から少し荒々しい声がした。

「ガチャン」

驚いてコーヒーカップを落としてしまった。

「どうしたの?」

死んだはずのサナの声が聞こえる。
愛おしい声に答えようとしたが、それはやめてタイプを打った。

【サナは階段を下りて、やりかけの仕事を再開した】

「タン、タン、タン、タン、…」

サナはシナリオ通り階段を下りて行った。

同居人は混乱したままだった。
「どういう事だ!?サナは本当にパソコンの中で生きているのか!?
…だが、僕に話し掛けるシナリオなど書いていない。
サナは、自分の意志を持つようになった…?」

パソコンの画面を見ると、勝手に文章が生まれ始めていた。

【サナはやりかけの仕事を再開したが、集中できずにいた】

同居人はかじり付くように文章を追った。


【「一体どうしたのかしら。私には知られてはいけない事をしているのかしら。」
サナはもう一度階段を上り、ドアをノックした。返事はない。
3ヶ月ぶりに彼の部屋に入った。

資料の山、たまったコーヒーカップ、タバコの吸い殻。
3ヶ月前と何も変わらない部屋に、同居人はいなかった。
サナは椅子に座って、起動したままのパソコンの画面を覗き込んだ。

そこには、日記のような、でもそれにしては事細かな文章があった。
読み進んでいくうちに、サナはゾっとした。
「私の事じゃない……彼は毎日、私の行動をここに書いていたの…?」】


同居人はサナの死を受け入れていなかった。
けれど、心のどこかで解っていた。サナはもう居ない。
生きているサナを書く事で、取り残された自分を宥めていた。

同居人はポロポロ、ポロポロ、涙を流した。
サナのさまよう魂を思うと、自分の愚かさに嫌悪を感じた。

「僕のせいだ。僕はサナから逃げていた。死を受け入れ、向き合って手をあわせなかったがために、サナの魂は行き場を失っていたんだ。」


この3ヶ月間、彼はエゴに心支配され、サナのシナリオを書き続けていた。
失望感、悲しみ、苦しみ、絶望を味わいたく無かった。

サナのさまよう魂は、同居人の造り出した歪んだ居場所を見つけてしまった。
過去も未来も無い、文字の世界で、同居人は2階に居るのだと思いながら、一人で生きた。

同居人は、このシナリオに、サナに、ラストを書き下ろそうと決めた。


【“ピンポン”

インターホンがなって、同居人の奇妙な日記を見て唖然としていたサナは我にかえり、バタバタと階段を下り玄関を開けた。
「速達です」
郵便屋はにっこり笑ってサナに手紙を渡した。
差出人の名前は無かった。表には、“親愛なるサナへ”と書かれてあった。

サナは慌てて封を開けた。


“サナ。寂しい思いをさせてしまったね。
ずっと君をほったらかしにしていた僕を、どうか許してほしい。

僕はこの家にはもういない。3ヶ月前からいなかった。君を避けていたわけじゃない。
僕は死んではいないけれど、存在していない。
君は僕の姿を見る事はできないけれど、僕は君を、サナをずっと見ていた。
ここではない場所から、君をずっと見守っていたんだよ。

君は3ヶ月前、夢を失ってしまったね。僕もかけがえのないものを失った。
取り戻す事はできない。

でも、君はできるよ。
今の君なら、踊れるんだよ。

重要なのは、身体ではなく、魂なんだ。”】


どうかどうか、サナの魂が迷いなく、悲しみに心奪われる事なく、行くべき場所へ…。

そう願って、同居人はパソコンの中のサナに手紙を書いた。

ラストはモダンバレーを踊るサナを書こうと思っていた。


浅はかだとは思っていた。
「結局これも自分のエゴじゃないか。
僕のシナリオ通りに踊って、サナはみたされるか?」

しかし、歪んだシナリオを造り出した同居人。
そこにとどまってしまったサナの魂。
ラストを書く事は、はじまりでもある。
サナにはじまりを与える義務。

同居人は頭を抱えた。


その時、また画面にシナリオが生まれはじめた。

【サナは手紙を大切にたたんで、机の上においた。

「ありがとう。気付いてくれたんだね。」

ポツリと言葉を落として、サナは裸足のまま、軽快なステップをふんで、家の中をぐるぐる踊りはじめた。

封印から解き放たれたように、自由に、にこにこと笑いながら、踊り続けた。】


魂に意志はあるのだろうか。
心はあるのだろうか。
サナは自分で自分のラストを書いた。


【「ありがとう。おやすみなさい」】


ぼんやり、世界が戻ってきた。
そこは自分の部屋だった。

同居人はパソコンの前でうずくまって眠っていた。
画面を見ると、3ヶ月分のシナリオは全て消えていた。


同居人は立ち上がり、キッチンでお湯を湧かした。
コーヒーサーバーにフィルターをセットして、コーヒー豆を入れる。
お湯を回し入れると、家の中は香ばしい香りでいっぱいになった。

カップは二つ。
一口飲んでから、もう一つのカップをサナの写真の前に置いた。

-さよなら-

吹き抜けた風が囁いた気がした。

「さよなら。」
同居人は、誰に言うわけでもなく、まるで自分に言い聞かせるように、ポツリと言った。

by romancers_m | 2004-12-11 12:19 | オハナシ
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プラスにマイナスだとマイナスだけど、マイナスにプラスだとプラスなんだよ。

by romancers_m